久留米絣は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の絣をあわせてひとつの絣柄(かすりがら)を作ります。
これは経(たて)と緯(よこ)の柄を合わせるという高度な技術なくしてはできないことです。さらに絵糸という水先案内の糸に従って経糸(たていと)の束を粗苧(あらそう)と呼ばれる麻の表皮でくくることで速く、正確に、千変万化の柄を浮き出せるようにします。
そんな画期的な発案の中から、その美しい複雑な絣柄が織り上げられるのです。
久留米絣は、天明8年(1788)に久留米に生まれた井上伝が白糸をくびり、藍で染め、 飛白模様の織物を作る方法を考案したことに始まります。その後、織り機の改良や多くの人々の創意工夫が加えられ、 今日の久留米絣が完成しました。
江戸時代の終わり頃から筑後地方の農家の副業として織られ、明治以降庶民の衣服として広く愛用されるようになりました。 織物の小巾着尺としては、全国において最も有名なものの1つに数えられています。
久留米絣の基本染料となる藍(くすも)はかつては久留米で栽培されていました。
現在の三井郡大刀洗町一帯は良質の藍が採れることで有名で、現在のうきは市、久留米市田主丸町一帯は
洪水による肥沃な土が藍の栽培に適していました。そのため、藍の生産は有馬藩の主産業でした。
久留米絣の生産が最盛期を迎える明治初年ごろから藍の生産量が追いつかなくなり、阿波(徳島県)産の藍を
使用するようになりました。現在でも阿波(徳島県)産の藍を使用しています。
現在の久留米市は久留米絣を扱う商店や問屋が多くありました。久留米絣は南部の筑後市・八女市・八女郡広川町などの 周辺農村部で生産されています。
細やかな人の手と200年という時間に磨き上げられ、親から子へ、さらに孫へと受け継がれ守られてきた久留米絣は、 たくさんの人に愛されています。
久留米絣は、有馬藩の積極的な助成と多くの先達の努力で、今日の精巧な絣ができるようになりました。 昭和32年に「絹の結城紬」、「麻の小千谷縮・越後上布」についで「木綿の久留米絣」として国の重要無形文化財に指定され、 昭和51年には伝統的工芸品の指定も受けています。
伝統の技術に支えられ、指定技法によって作りだされる紺の香と、古雅な風格を有する絣は、 厳しい技術淘汰の中から生まれてくるものです。
200年以上の伝統に裏打ちされた確かな技術に現代の感性を加えた、久留米絣の新しい動きが展開されています。